HOME

こんな夢を見た

不慣れな街にいて、駅へ近道をしようと人気のないアーケード商店街へ足を踏み入れた。
 ほとんどの店は閉まっていて、唯一開いているゲームセンターでは店の外に置かれたゲーム機に少年少女たちが群がっている。ビキニ姿の女の子もいるのは風俗店の従業員だろうかなどと考えながら歩いて行くと、向こうからビキニの上下を着た男の子たちがやってきた。

 どうも様子が変だと思った途端、ニヤけたオヤジが現れて当然のような顔で尻を触ってきた。ごめんなさいごめんなさい、そういう場所とは知りませんでした、間違って入ったんですと謝りながら全力で走って逃げた。

 非常に疲れた。

 後で考えれば、あの水着少女たちも実は男の子だったに違いない。

Natacha Atlas

Facebookで動画をシェアしても、あっという間にタイムラインの彼方に流れ去ってしまってあとで探すのが大変なので、ブログに貼ることにしようと思う。





JUGEMテーマ:音楽

SNSの廃墟

風邪を引いて熱っぽい頭に浮かんだ想念。

 最近、古代ローマの廃墟を描いたユベール・ロベールの展覧会に行ったり、現役の建築が廃墟になった光景を描く元田久治の画集を買ったりした影響かも知れないが、たとえばFacebookはどんな風にして廃墟になるのだろうと考えてみる。

 もちろん企業が運営している以上、最後にはサービス停止となって跡形もなく消え去るのだろうが、そこに至る経緯はどんなものだろう。
 古代都市が廃墟になるのと同じように、人々が一人去り、二人去りして無人となり、皆が投稿した文章や写真たちだけが二度と戻ってこない閲覧者を虚しく待ち続けているのだろうか。
 そのとき、Facebook上の友人関係はどこか別の場所に再構築されるのだろうか。それともそのまま胡散霧消してしまうのか。

 だいたいFacebookはあと何年続くのだろう。せいぜい10年くらいじゃないだろうかと思ってみるのだが、これが100年後や200年後に存在していたら別の意味で怖い。死者のために追悼アカウントという制度があるけれど、永久不滅なんだろうか。
 もっともこれは友人にしか公開されないし、私の友人リストにいる人々も100年後には皆この世の人ではないだろうから、やはり誰の目にも触れずにデータだけが残り続けることに変わりはないのである。


雨の名前

雨。霧雨。小雨。小糠雨。驟雨。大雨。通り雨。俄か雨。豪雨。暴風雨。雷雨。涼雨。慈雨。翠雨。五月雨。梅雨。長雨。秋雨。時雨。氷雨。夜雨。沖雨。村雨。淫雨。多雨。銀雨。涙雨。花の雨。無情の雨。生憎の雨。連日の雨。土砂降りの雨。みずいろの雨。オレンジの雨。12月の雨。京のにわか雨。天気雨。闇に降る雨。タンホイザー・ゲートに降る雨。地底の雨。蝉時雨。硝煙弾雨。鉄の雨。血の雨。黒い雨。酸性雨。流星雨。

Alberta Hunter - movies part 1


Nobody Knows You When You're Down and Out


My Castle's Rockin


Amtrak Blues


JUGEMテーマ:音楽


calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2012 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

  • SNSの廃墟
    廃棄物
  • 1980年1月1日 6206レ 急行十和田6号
    廃棄物
  • 桃園川 高円寺北四丁目支流(仮)
    nama
  • 桃園川 高円寺北四丁目支流(仮)
    翠月庵
  • 桃園川 高円寺北四丁目支流(仮)
    翠月庵
  • 桃園川 高円寺北四丁目支流(仮)
    廃棄物
  • 桃園川 高円寺北四丁目支流(仮)
    nama

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM