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アメリカ旅行


 アムトラックの列車で北米大陸を横断してみたい、と永年夢見ていた。
 ヨーロッパ方面には何度も出かけているが、アメリカ合衆国に降り立ったのは飛行機の乗り換えで数回だけだ。もう40代も終盤というのに、人としてそれで良いのかという思いもあった。
 東海岸と西海岸を直接結ぶ列車は走っていない。常識的なルートを取るかぎり、東海岸―シカゴとシカゴ―西海岸に分かれることになる。
 鉄道好きとしてはニューヨークの地下鉄に乗りたいし、シカゴのエル(高架鉄道)も外せない。したがってニューヨーク―シカゴの「レイクショア・リミテッド」に乗車することはほぼ自動的に決まった。問題はシカゴー西海岸をどうするか。
 西海岸へは、シアトル/ポートランド、サンフランシスコ、ロサンゼルスへ列車が走っている。それぞれ景勝区間があって甲乙付けがたいのだが、できればシアトル着発の「エンパイア・ビルダー」に乗りたい。
 小学生のころ、父が買ってきてくれたグラフ雑誌で「エンパイア・ビルダー」の乗車記を読んで以来、ずっと頭の片隅にあった名前だ。記事が書かれた頃はまだアムトラックは存在せず、グレートノーザン鉄道が運行するオレンジと緑色の客車で、屋根の上に展望席をつけた「ドームカー」が連結されていた。今はアムトラックになって、車両も全車二階建てでステンレス車体の「スーパーライナー」に変わったが、是非同じ名前の列車に乗ってみたい。

 旅行には25年来の知己であるW氏と同行することになった。氏はアメリカには何度も行っているので、列車の予約以外は全部やってくれて楽をさせてもらったが、そのかわり寝台車には一度も乗ったことがないという。二泊三日も列車内に監禁されて「もう飽きた。ここで降りて飛行機で行く」などと言い出すのではないかという不安もあるが、まあ、そのときはそのときだ。

 こんなふうにして、足掛け10日、中年男二人組のアメリカ旅行に出かけることになった。といっても、お互い贔屓にしている航空会社のアライアンスが違うので、現地集合、現地解散の旅である。

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アムトラック 49列車 「レイクショア・リミテッド」ニューヨーク 15:45 - シカゴ 9:45(第1日)

Lake Shore Limitedアメリカの鉄道黄金時代、ニューヨークとシカゴの間には、ニューヨーク・セントラル鉄道の「20世紀特急」と、ペンシルベニア鉄道の「ブロードウェイ特急」が覇を競っていた。これから乗る「レイクショア・リミテッド」は、現在は元のペンシルベニア鉄道の駅から発車しているが、シカゴまでかつての「20世紀特急」のルートを走る。

 ペン駅そばのスポーツバーで遅い昼食をとり、ホテルに預けておいた荷物を受け取って駅に着いたのは、発車30分前だった。寝台車の乗客はラウンジで待つことができる。入り口で乗車券をチェックしている待合室があったのでここかと思って中に入ったのだが、そこは一般の待合室だった。それに気づいたのはW氏が本屋へ行くと言ってどこかへ消えてしまった後で、いまさら本物のラウンジへ移動することもできない。

 そうこうするうちに乗車開始の案内放送があり、W氏も戻ってきたので、スーツケースを転がして乗り場へ向かう。プラットフォームはひとつ下の階にあるのだが、エスカレーターが止まっている。エレベーターの前は大荷物を持った乗客であふれていて、一回では乗り切れない。まさか置いて行かれることはないだろうと思うが、気が気ではない。やっとエレベーターの順番が来て下に降り、車掌に案内されて自分の個室に収まったのは、発車10分前だった。乗車券には、個室番号が「06/4911」と印字されている。06は部屋の番号なので、4911は「49列車の11号車」の意味だろうか。といっても、この列車は11両もの編成ではない。

 15:45、定刻に発車。いよいよアムトラックの旅が始まる。暗いプラットフォームがゆっくりと遠ざかっていく。コンコースへの階段は古めかしい鋳鉄製で、ペン駅が改築されて地上部がマディソン・スクエア・ガーデンになる前からの構造物なのだろう。
 列車はマンハッタンの地下をゆっくり進み、ハドソン川をトンネルでくぐる。トンネルを抜けても、上空を覆われた暗闇の中を走る。ときどき明かり取りがあるだけで何も見えず、ニューヨークの街に別れを告げる風情ではない。
 10分ほどしてようやく外へ出た。左の車窓を川が並走する。ハドソン川に違いない。とすると、ペン駅を出てハドソン川をくぐったのではなく、そのままマンハッタンを北上したようだ。となりの線路の脇には第三軌条が見える。近郊電車と路線を共用しているらしい。川幅は広く、湾のようだ。対岸は森で、マンハッタンから20分も走っていないのに人の気配はない。もちろん河岸段丘の上には住宅地があるのだろうが、車窓から見えるのは人跡未踏といった景色である。ところどころ路盤が線路際まで削られているのは、先日のハリケーンの痕跡だろうか。日本であれば路盤を修復するまで運休になるところだ。跨線橋の階段の下がすっかり無くなって、水面の上にぶら下がっている箇所すらあった。


 W氏の個室は通路をはさんだ反対側である。崖ばかりで景色がつまらないと言いながらこちらに顔を出した。しばらく二人で車窓を眺めながら世間話をする。もともと二人用なので狭くはない。
 列車はひたすら川に沿って走る。一時間以上経っても景色に変化はない。ときどき吊り橋や巨大なトラス橋が現れるが、その数は多くない。両岸の交通はあまり便利とはいえないようだ。W氏は昼寝をすると言って部屋に帰って行った。

 個室内にシャワーはないが、トイレは付いている。といっても別室になっているわけではなく、座席(夜はベッドになる)の横の蓋を開けると洋式便器が現れる仕掛けである。通路側の扉をロックし、カーテンを閉めて使ってみる。途中で駅に停まっては困るので窓のカーテンも閉める。いちいち面倒だし、居室で用を足しているような違和感がある。二人で利用する場合はどうするのだろう。たとえ夫婦でも、普通は相手の排泄なんか見たくないし、見られたくもないと思う。使用中は通路に避難するのか。寝台車に共用のトイレはない。個室のを使わないとすると、座席車まで行かなければならない。

 18:16、ニューヨーク州オルバニー・レンセリアに到着。時刻表より9分早い。ここでボストンから来た車両を連結する。しばらく停まるのでプラットフォームに下りる。冷房の効いた車内から出ると蒸し暑い。前方ではニューヨークから牽引してきた機関車が切り離されて側線に入った後、はるか向こうに待機していたボストン編成が後退してきて連結され、客車13両の編成ができあがった。座席車は丸みの強いアムフリート、寝台車は窓が二段のビューライナー、そして食堂車と荷物車はヘリテッジフリートと呼ばれるアムトラックができる前からの古い車両なので、編成として見るとごちゃごちゃして統一感がない。機関車はボストン編成の重連がこのままシカゴまで牽引するようだ。

 (←シカゴ)機関車ー機関車ー荷物車ー寝台車ー座席車ー座席車ーラウンジ車ー座席車ー座席車ー座席車ー座席車ー食堂車ー寝台車ー寝台車ー荷物車

 停車中に日没となって19:06発車。停車時間はたっぷりあったのに、なぜか1分遅れている。しだいに暮れていく景色を眺めているうち20:00になって、予約しておいた食堂車へ行く。4人掛けのテーブルが通路の両側に並んでいて、ほとんど埋まっている。空いていたテーブルに案内されたが、すぐに若いカップルが向かいに座った。もっともこの二人は、しばらくメニューを眺めた後「やっぱり止めた」と言って出て行ってしまった。食べたいものが無かったというより、予算が合わなかったのかもしれない。一番安いパスタでも13.50ドルする。
 テーブルにつくと、まだ注文もしていないのにサラダの皿が出てくる。席に案内する係と注文をとる係は別になっているようで、なかなか注文をとりに来てくれない。テーブルには袋入りのドレッシングが山盛りになった籠がある。袋には似顔絵が書いてあって、ドレッシングの種類ごとに服装が違うのだが人物は同じである。それは良いのだが、顔がジョージ・ブッシュ前大統領に見える。それをかけてサラダを食べていると、ようやく注文の順番が来た。
 我々は寝台車の乗客なので、食事代は料金に含まれている。魚料理はニジマスだというので、それを選ぶ。ワインは白のハーフボトルにする。アルコールは寝台料金に含まれていないので、別に支払う必要がある。皿はプラスチックだったが、ニジマスは悪くなかった。気分が良くなってきて、白ワインの二本目を注文する。ハーフボトルを二人で二本だから、決して飲み過ぎではない。初老のアフリカ系ウエイターははじめのうち無愛想だったが、ワインを追加したあたりから機嫌が良くなった。


 デザートとコーヒーも出て満腹し、会計を済ませ、チップを置いて部屋に戻るとベッドが出来上がっていた。まだ21:30で寝るには早い。W氏がどこからか取り出したワイルドターキーで通路越しに乾杯する。氷とプラスチックのカップは車内の給水器のところに無造作に置いてあって、勝手に取ってくるようになっている。
 窓の外は闇が広がるばかりで人家の灯りも見えない。周囲の個室もみな扉を閉ざして就寝の気配である。それほど飲んではいないはずだけれど、一時間ほどで眠くなって部屋に引っ込んだ。


 01:00少し前に目が覚めた。けっこう速度が出ていてよく揺れる。便器の蓋を上げて用を足す。シートを引き出してベッドが作られているので、昼間より狭くて使いづらい。
 外は月夜である。駅の前後のポイントを減速せずに通過するのか、ときどき大揺れするので目が覚めてしまう。おまけに車輪にフラットがあって、走っている間ずっとケタケタケタケタと騒がしい。ときおり、対向列車が警笛を鳴らしながら窓外をかすめる。映画などで何度も聞いたアメリカの機関車の音色で思い入れはあるのだが、眠ろうとしている耳には騒音に近い。ようやく駅に止まって静かになったと思うと、発電用エンジンだろうか、床下から別の音が聞こえてくる。仕方がないのでヘッドフォンで耳を塞ぎ、音楽で外界を遮断することにした。曲はもちろん、アルバータ・ハンターの「アムトラック・ブルース」。誰か来て助けてよ。あたしの男が行っちゃったよ。80歳を過ぎても艶のある歌声を聴くうちに、ようやく眠りが訪れた。

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アムトラック 49列車 「レイクショア・リミテッド」ニューヨーク 15:45 - シカゴ 9:45(第2日)

07:00、扉を叩く音で目を覚ました。昨夜寝付けなかった割には熟睡していたらしく、車掌が時間通りに起こしに来たのだと気がつくまでに時間がかかる。カーテンを少し開けて合図すると、車掌は去って行った。扉の下に朝刊が差し込まれている。
 07:07、オハイオ州トレド着。時刻表では5:55の予定だから一時間以上遅れている。まだ日は出ていないが、だいぶ明るい。向かいの個室のカーテンが開いて、W氏が顔を出した。
 室内で洗面する。下にある便器が洗面台より出っ張っているので十分近づけないし、洗面器も小さいのであたりが水浸しになる。やはり、あまり使いやすい構造ではない。
 07:30ごろ食堂車に行く。スクランブルエッグにベイクトポテト、オレンジジュース。ベーコンかソーセージを追加することもできて、寝台車だから追加料金はかからないはずだが、ただ座っているだけなのに朝から食べ過ぎては太るだけなので止めておく。W氏はやはりよく眠れなかったらしく、一晩中地震の夢を見ていたと言った。

 ひとり旅の老人と相席になって、二言三言会話する。
 「どうして飛行機ではなく列車を使うんですか」
 「飛行機の座席は狭くて嫌いだ」
 シカゴで列車を乗り継いでどこかへ行くと言っていたようだが、私の英語力では良く聞き取れなかった。

 部屋に戻って景色を眺める。少しづつ陽が高くなって、一面の畑を照らし始めている。農作物についての私の知識は暗澹たるもので、見てもトウモロコシしかわからない。濃い緑の葉をつけているのは、小学校の授業で栽培したジャガイモに似ているなと思う。枝豆が束になったようなのは大豆だろうか。列車は100〜120km/hくらいで快走しているので、詳しいところはよく見えない。
 私の個室は進行方向左側なので、右側通行のこの国では対向列車に視界を遮られることになる。コンテナを二段積みにした貨物列車とすれ違う。これがダブルスタックという奴であるかと思う。もっとも、普通の貨車の床上に二段積むわけではなくて、下段は床から下に落し込むようになっている。

 昨日乗り込んだ時、部屋にはミネラルウォーターの小瓶が2本用意されていたのだが、すでに飲み干してしまった。寝台車には給水器があって、おそらく飲用だと思われるのだが、やはりミネラルウォーターがほしい。ボストン編成のラウンジカーまで買いに行くことにする。途中、座席車を4両通り抜ける。座席は半分ぐらい埋まっている。シートは一昔前の飛行機のビジネスクラスといった感じで、深くリクライニングして足元も広いし、悪くはなさそうだ。ちなみに、チケットに記されたニューヨークーシカゴ間の料金は、運賃が88ドル(約7,000円)、寝台料金が384ドル(約30,000円)、合計で472ドル(約37,000円)である。寝台料金には二回の食事代が含まれていることを考えても、ずいぶん差がある。

 線路に沿って、鉄道通信のケーブルが伸びている。木製の柱に木の横木を何本か付けた支柱は昔の日本にもあって、その形から「ハエタタキ」と呼ばれていたそうだが私は見たことがない。その、日本ではとうの昔に絶滅した「ハエタタキ」がずっと並んでいる。ときどき傾いているのもあったりして、現在も使われているのかどうかはわからない。横木の上に並んだ碍子は透明や緑のガラス製で、すでに高くなった朝日にきらきら光っている。


 ふたたび車窓を貨物列車が横切る。機関車が7両も連結されている。さすがに牽引しているのは何両かで、残りは回送されているのだろうと思うが、その後ろには屑鉄を満載した無蓋車の長い列が続き、いかにも重そうだ。
 ときどき畑が途切れて小さな街になる。わずかなメインストリートには石や煉瓦の建物が並んでいるが、民家はほとんど木造だ。アメリカの家には塀がない。なんだか無防備な感じで、自分で住んだら、裏口を斧で打ち破って暴漢が侵入する夢を見そうな気がする。

 09:09、インディアナ州サウス・ベンドに到着。20分遅れ。車掌がタイムゾーンの変更を告げながら廊下を歩いて行く。時計を一時間遅らせる。この駅を出ると終着のシカゴまで停車駅はない。残す行程は84マイルとなったが、まだ2時間近くかかることになっている。

 田園風景の中を、快調に飛ばす。畑には自走式の巨大な散水装置がある。梯子を水平にして何段もつないだような形で、つなぎ目ごとに車輪が付いている。全長は数百メートルあるだろう。異星の昆虫を思わせる形態だ。動力装置が見当たらないので、自走式ではなくてトラクターか何かで牽引するのかもしれない。

 09:41、白銀に塗られた列車とすれ違う。客車と貨車の混成で、車体に「THE GREATEST SHOW ON EARTH」というロゴが描いてあってサーカス列車のように見えるが、現代にそんなものがあるのだろうか。
 09:45、時刻表ではシカゴに到着する時刻だが、田園地帯の真ん中で止まってしまった。大都会が近いとは到底思えない風景なので、駅への進入待ちではないだろう。10分ほどしてやっと動き出したがすぐに止まり、こんどは後退し始めた。このままバックでシカゴに到着かと思うと、再び停止し、今度は前進で何事もなかったかのように走り始めた。


 そのまま30分ほど走ると、ようやく周囲が工業地帯の雰囲気になった。彼方に高層ビルが見え始め、開閉橋をわたり、高架鉄道の下をくぐって、11:11、1時間26分の遅れでシカゴ・ユニオン駅に到着した。ニューヨークと同様の薄暗い地下プラットフォームだが、高さはずっと低い。車掌がデッキの下で荷物を下ろしてくれるので、礼を言って一泊二人分のチップに10ドルを渡す。
 出口は機関車の先なので、荷物を引きずって200メートル以上歩かねばならない。先頭の機関車の前で、乗客たちが代るがわる写真を撮っている。やはり日常的に利用するような列車ではないのだろう。



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アムトラック 7列車 「エンパイア・ビルダー」シカゴ 14:15 - シアトル 10:25(第1日)

「エンパイア・ビルダー」は、シカゴと西海岸のシアトル、ポートランドを2泊3日かけて走る列車で、今回の旅行のハイライトである。国内外の夜行列車にはこれまで何度となく乗ってきたけれど、同じ列車に2泊するのは初めての経験だ。
 前にも書いたように、私がこの列車の存在を知ったのは小学生のときに読んだ雑誌だった。記事が冬の旅行だったこともあって掲載された写真には暗い色調が多く、決して華やかな雰囲気ではなかったが、なぜか強く印象に残った。
 アメリカの旅客列車が急速に衰退して、あと数年でアムトラックが発足するという時代背景も影響していたのかもしれないが、70年代まではこのような重苦しい表現が良しとされていた記憶がある。露出オーバーで白飛びした写真みたいな奇妙に明るい映像が氾濫するのは80年代になってからだ。

 ともあれ、これから乗るのは2階建てのスーパーライナー客車を連ねたアムトラック時代の「エンパイア・ビルダー」である。ニューヨークではラウンジを利用する余裕がなかったので、今回は早めに駅へ行くことにして、13:00ごろホテルからタクシーでユニオン駅に向かった。朝から降ったり止んだりしている雨が、また降りだした。
 10分もかからず駅に着いて、さっそくラウンジへ向かう。入り口でチケットを示すと、改札時刻などが記入されたピンク色のカードが渡される。これがラウンジの利用証らしい。
 中は込み合っていて、ほとんどの椅子はふさがっている。丸テーブルがひとつ空いているのを見つけてW氏と共に席を占める。
 ドリンクコーナーがあって、ソフトドリンクが自由に飲めるようになっているが、航空会社のラウンジのような食事や酒類は提供されない。インテリアなども、どこかのサイトに書いてあったとおりで安めのホテルのロビーのようだ。寝台車のチケットが高いといっても、大陸間フライトのビジネスクラスに比べれば数分の一の値段だから、待遇の差は仕方ないのだろう。


 シカゴ・ユニオン駅といえば、グレート・ホールを是非見たい。そこには、映画『アンタッチャブル』で乳母車が転落するシーンが撮影された大階段がある。ラウンジを出てホールへの連絡通路まで行くと、係員が立って入ろうとする人を阻止している。入り口からのぞくとホールの中はなにやら黒い幕が張り巡らされていて、係員によれば映画の撮影中とのことであった。仕方がないのでラウンジに引き返す。

 13:30、「エンパイア・ビルダーのお客様はどうのこうの(よく聞き取れない)」というアナウンスがあって、ラウンジの入口に行列ができ始めたので、荷物を持って並ぶ。しかしこれは、乗客名簿とチケットの照合作業であって、まだ乗車できるわけではなかった。それから15分ほどして「非常口のところに並んでください」というアナウンスがあり、列を作って非常口から出ると、そこはもうプラットフォームで、列車の後尾が向こうに見えていた。

 全二階建てのスーパーライナーはさすがに大きい。高さ4メートルのステンレスの壁となった列車に沿って、自分の車両を探しながら前へ進む。後方はポートランド行きの編成で、私たちの乗るシアトル行きはずっと先の方だ。いっしょにラウンジを出て寝台車へ向かう周囲の乗客は現役を引退した世代の高齢者ばかりだが、皆これから始まる列車旅行への期待で足取りが軽い。
 ポートランド編成の寝台車、座席車、ラウンジ車、シアトル編成の座席車を通り過ぎ、食堂車の前が私達の寝台車であった。スーパーライナーの寝台はほとんどが二階にあるが、ファミリールームと車椅子対応個室、一部のルーメットは一階に配置されている。チケットには部屋番号しか表示されていないため、それが一階の部屋だったらつまらないなと思っていたのだが、さいわい二階であった。車輌の乗降口は一階にあって、低いプラットフォームとほぼ同じ高さのためステップはない。ドア横の広い荷物置き場にスーツケースを収納して、狭い階段を上り自分たちの個室に落ち着いた。W氏の部屋は、レイクショア・リミテッドのときと同じく通路の反対側で、二部屋申し込むと原則としてこのような配置になるらしい。

 寝台車の乗客が乗り終えた頃合いを見計らって、車掌からの車内放送が始まった。寝台車の客にはコーヒーやジュースが無料で提供されるのは「レイクショア・リミテッド」同じだが、「氷をすくうスコップは必ずバケツに戻し、決してアイスボックス内に放置しないでください」とか「三日間の旅行中、一度しか言いませんのでよく聞いてください」とか、なんだかやかましい。
 ウェルカムドリンクにシャンパンを差し上げます、と案内した後も、「飲み終わったグラスを回収するときは部屋のコールボタンを押して呼んでください。廊下を歩いている私にグラスを手渡さないでください」と注意がある。気難しい性格のようだ。


 14:15、列車は定刻に発車した。シアトルまで2,205マイル(3,548km)、46時間10分の旅の始まりだ。
 ゆっくりと、昨日遊覧船に乗った運河に沿って走る。旅立ちに高揚した気分とは裏腹に、外は依然として小雨が降っている。しばらくして車掌がシャンパンの小瓶を配り始めた。車内放送の印象とは違って陽気な人物だ。アフリカ系に見えるが、ラジャという名前からするとインド系なのかもしれない。
 W氏と廊下越しに乾杯する。他の乗客もシャンパンで気分が盛り上がり、車内はにぎやかだ。すっかり観光列車の雰囲気になっている。

 やがて車窓は一面の畑になった。雨はやんで、前方には青空も見えている。1時間ばかり田園地帯を走ると唐突に都会が出現し、15:40、ウィスコンシン州ミルウォーキーに到着した。15分ほど停車するので車外に出る。プラットフォームは古い工場のような鉄骨の屋根に覆われていて、機関車と前方の客車はそこからはみ出して道路の高架下に停まっていて近づけない。荷物車ではフォークリフトを使って積み下ろしをしていた。車輌に戻ろうとしたら同じように降りてきた白髪の老人に写真を撮ってあげるよと言われ、カメラを渡して客車を背景に写してもらう。お返しに「あなたの写真も撮りましょうか」と言ったら、「もっと景色の良い駅で撮ることにするよ」と言われた。たしかに、旅行の記念にするには殺風景な駅である。


 15:55、発車。シャンパンを飲んで昼寝をしていたW氏が起き出してきたので、食堂車と座席車を通り抜けてラウンジカーまで行ってみる。座席車は多種多様な乗客で半分くらい埋まっていて、ヨーロッパ系の高齢者ばかりの寝台車とは対照的だ。みな思い思いに本を読んだりパソコンに向かったり、毛布をかぶって眠っていたりする。
 ラウンジカーに着いてみると、2階の展望席はまだ景勝区間でもないのに満席だった。仕方がないので階下の売店で赤ワインを買って自分たちの車輌に戻ることにする。
 赤ワインを飲みながら車窓を眺める。列車はウィスコンシン州を坦々と走っている。トウモロコシ畑、雑木林、ときどき人家、ときどき馬。空はすっかり晴れて、雲が点々と浮かんでいる。出発時の興奮も醒めて、他の個室も静かになった。


 17:50、ウィスコンシンデルズ着。西部劇に出てくるような書体の看板がある。駅を出るとすぐに、深い淵を渡る。平坦な地形なのだが、川の両岸は落ち込んだような崖になっていて渓流のようだ。陽がだいぶ傾いてきて眠くなり、少しうとうとする。


 18:30、ウィスコンシン州トマを定発。隣の食堂車でテーブルの空くのを待つ行列が、個室の横まで伸びてきた。今さら扉を閉めるのもなんだか気まずいし、ちょっと居心地が良くない。


 雲の縁を染めて陽が落ちていく。19:13、日没。車内が冷えてきた。
 我々の夕食は最終回の20:30に予約してあるのでまだ時間がある。今のうちにシャワーを浴びることにする。寝台車の共用シャワーは各車両の階下に1ヶ所ずつあって、個室内にシャワーのないルーメットの乗客はそれを使うことになる。脱衣所とシャワー室がそれぞれ1メートル四方くらい。広くはないが、不自由なほど狭いわけでもない。列車内のシャワーは、ずいぶん昔、ブルートレインの「あさかぜ」で使ったことがあるけれど、海外では初めてである。以前、妻と乗ったスペインの寝台車には、個室内にシャワーが付いていたのだが、ちょうど風邪を引いてしまって浴びるどころではなかったのだ。
 バスタオルは脱衣所にたくさん用意してある。ガイドブックなどには紙製の足ふきマットがあると書いてあったが、そんなものはどこにもない。仕方ないのでバスタオルをもう一枚使って床に敷く。石鹸もたくさん用意されていて、「使い終わった石鹸はここに捨ててください」と注意書きがある。自宅やホテルの感覚でシャワー室に残していく乗客が多いのかもしれない。
 シャワーは湯量豊富というわけにはいかないが、なんとかなる量である。ボタンを押すと湯が出て、しばらくすると自動的に止まるがまたボタンを押せば良い。「あさかぜ」のシャワーは3分間しか湯が出ない仕組みで、使っていると残り時間の表示がどんどん減っていくので急かされているような気分になったものだが、こちらはそのようなことはない。
 
 20:23、ミネソタ州に入って最初の駅、ウィノナを33分遅れて発車する。シカゴからの距離は308マイル(493km)で、全行程の15%にも満たない。この調子で遅れていくとシアトル着は数時間の遅れとなりそうだが、どこかで取り返すのだろうか。

 20:30、時間になったので食堂車へ行く。
 魚料理はナマズだという。ナマズは食べたことがない。食事に関しては保守的な人間なのでビーフステーキにする。この列車では陶器の皿を使っていて味も悪くはないのだが、夕食の最終回なので、早く客を追い出して仕事を終わりにしたいという雰囲気が伝わってきて落ち着かない。ウェイターはずんぐりした体型で縮れ毛で、フランス映画に出てくる下町のカフェの店主みたいな男だ。飲み残した赤ワインのボトルを持って部屋に引き上げる。


 あらためて飲み直しというところだが、ハーフボトルの飲み残しなど、二人で一杯ずつしかない。たちまち空になり、酒を求めてラウンジカーへ出かけることにした。夜で景色も見えないし閑散としているかと思ったらほとんどの席がふさがっている。階下でウィスキー(カナディアンクラブ)のミニボトルを買い、空席を見つけて座る。
 ラウンジカーの窓は他の車輌より天地が大きく、景色が見やすいように窓に向かって座席が配置されているのだが、夜なのでガラスに映る自分たちの姿しか見えない。人家の灯りもない。長居をしても面白くないので22:30ごろ部屋に戻り、寝てしまった。


 02:45、目を覚ます。部屋が暑いので空調を入れる。ズボンと靴を履いてトイレに行き、帰りにミネラルウォーターとクランベリージュースを持ってくる。物凄く肥大した男が一人、同じように起き出していて、廊下で挨拶された。
 個室の灯りを消してカーテンを開けると、外は月光に照らされて明るい。窓ガラスに顔を近づけて、よく見れば空は満天の星。

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アムトラック 7列車 「エンパイア・ビルダー」シカゴ 14:15 - シアトル 10:25(第2日)

06:30ごろ目が覚める。地平線のあたりの空が群青色に変わり、やがて列車の後方から朝焼けが始まった。
 列車は沼沢地のような場所を走っているようで、ときおり水面が車窓をかすめる。

 線路はロングレールの区間と短いレールの区間が混在していて、滑らかに走っていたかと思うと突然ロングレール区間が終わり、ケチャケチャコトコトケチャケチャコトコトと車輪の音が忙しくなる。レールの継ぎ目を左右で互い違いにしているらしい。同時に横揺れも大きくなるので、昨夜は何度か眠りを中断された。
 日本の鉄道もロングレールが多くなる前は25メートルのレールだったが、左右の継ぎ目は揃えてあった。その上を長さ20メートルの車輌が60〜80km/hで走ると、車内にはトトットトットトッ、トトットトットトッ、という気持ちの良い走行音が響いたものだ。ごく稀に、北海道の閑散ローカル線などでは部分的に戦前からの10メートルレールが残っていることがあって、隣り合った車輌が同時に継ぎ目を踏むので、いきなり走行音がドッドタッタドッドタッタとにぎやかになり驚いたことがある。もう30年近い昔の話で、そうした路線も今はあらかた廃止されてしまった。

 06:59、ノースダコタ州デビルズレイクを発車。46分遅れ。食堂車から朝食の案内放送が入る。沼地の彼方から太陽が顔を出した。もう起きることにして、車掌を呼び、ベッドを片付けてもらう。といっても、寝具を丸めて上段ベッドに放り込むだけの作業だ。
 車窓は沼沢地を過ぎて、広大な牧草地に変わった。干し草のロールが点々として、朝陽に長い影を引いている。

 07:59、ノースダコタ州ラグビーに停車。発車時刻はとうに過ぎているが、みんな降りているので車外を散歩する。西の空にはまだ月が残っている。08:03、56分遅れで発車。
 食堂車へ行くと満席で、ウェイターが予約リストを持ってやってきたので名前を告げる。リストはかなり長くなっていて、私たちの番が回ってくるのは当分先になりそうだ。それまで車窓を眺めて過ごすことにする。のんびりと草を食む馬の群れの中に、一頭だけこちらを凝視しているのがいる。見張りの係が決まっているのだろうか。狐らしき動物が身をひるがえして線路際の草むらに消える。

 08:57、ノースダコタ州マイノットに到着した。23分遅れ。駅の周辺は洪水があったらしい。泥をかぶった車が放置され、家屋に痕跡が残っている。あたり一面が埃っぽい。それにしても、ラグビーからマイノットまで、時刻表では所要時間が1時間27分の区間で、33分も遅れを回復するとは信じがたい。単線区間だから、対向列車との行き違いのタイミングによってそれくらいの差が出るのだろうが、そもそもダイヤの作り方が日本や西欧とは違っているような気がする。
 09:19、発車と同時に食堂車から名前を呼ばれたので朝食に行く。スクランブルエッグ、ベイクドポテト、クロワッサン。追加でベーコンを注文する。食べているうちに車窓に起伏があらわれて丘陵地帯となり、浅い谷を鉄橋で渡る。


 食後、洗面のためトイレに行く。スーパーライナーのルーメットには洗面台がない。しかし、トイレの洗面台もビューライナーの個室にあったのと同じように小さく、顔を洗ったら床が水浸しになってしまった。備え付けのペーパータオルを何枚も使って拭く破目になる。

 11:20、ノースダコタ州ウィリストン着。11:28発。21分遅れ。メールチェックをしたいのだが、昨夜からモバイル接続がまったくできない。旅行前に得た情報では、主要道路に沿って細長く電波のカバー領域が伸びていたが、このあたりの線路は道路から離れているのだろう。

 車窓の風景から水気が消え、荒涼とした岩肌と草むらばかりになった。車掌のラジャが「Coffee smells goooood!」と言いながら通路を歩いて行く。やっぱり変わっている。日本の鉄道会社ならたちまちクレームが入って配置転換だろうと思うが、アムトラックの車内ではどうでもよくなる。それどころか何となくコーヒーが飲みたくなって取りに行く。

 外は雲ひとつない晴天の下、枯れ草色の起伏が拡がっている。眺めているうちに眠気に襲われて少しうとうとする。
 13:00、そろそろモンタナ州に入ったはずなので時計を山岳時間に合わせる。現在12:00。モバイル接続が圏内になったのでメールをチェックする。

 12:12、モンタナ州ウルフポイントを発車。31分遅れ。鹿が二頭逃げていった。
 呼ばれたので食堂車へ。クラムチャウダーとサラダ、ビールを注文する。食べ終わって、食事とビール代からチップを計算してテーブルに置き、ラウンジへ移動する。しばらくして、ようやくビール代を払い忘れたことに気付いた。自室へ戻る途中、すでに昼の営業が終わった食堂車で係の若い女性に声をかけてビール代を支払うと、「ちょうど今そのことを考えてたところだったのよ」と笑顔を返された。

 あいかわらず空に雲はなく、車窓は平原だったり岩がちの丘陵だったり。真っ白に見える箇所があるのは、塩だろうか。

 14:36、小駅に停車して、シカゴ行きの「エンパイア・ビルダー」と交換する。

 15:19、モンタナ州ハブアー着。40分遅れで発車時刻を過ぎているが、長時間停車のようなので乗客はみんな外に出ようと下に降りるのだが、ドアが開かない。そのうち国境警備隊らしき制服の二人組が降りてきて、ひとりひとりに「合衆国市民か?」と質問する。「違う」と答えると「では写真付き身分証明書を」。私はパスポートを提示して何もなかったが、彼らはW氏のパスポートに疑問を抱いたらしい。電話でどこかへ照会を始める。数分して疑惑が解けたらしく、また他の車両のチェックもすべて終わったのだろう、列車が再び動き出してプラットフォームに着き、ドアが開いて全員外に出ることができたのだが、当局がアムトラックに対するテロ計画でも掴んだのかと不安になる。
 9月11日のニューヨークでは、グラウンド・ゼロの沖にイージス艦が浮かび、スタテン島フェリーは両舷をニューヨーク市警と沿岸警備隊の高速艇にエスコートされて運航していた。あれからまだ4日、のんびり列車に揺られていると忘れてしまうが、この国は現在、たしかに緊張状態にある。


 外はやや暑い。プラットフォームには、軸配置4-8-4の巨大な旅客用蒸気機関車が展示されている。あたりを一回りして車両に戻ると、ワインとチーズの試飲試食会が始まるというので食堂車へ行く。ワインは赤白二種類ずつ、チーズは三種類が供された。進行役は我らが車掌ラジャが務める。今日が42歳の誕生日だというので、みんなで彼のためにハッピーバースデーを歌う。
 やがてボトルのワインを賞品にしたクイズ大会が始まった。アメリカの古いテレビドラマなどの出題が多くて全然わからないが、他の乗客は大いに楽しんでいる。

 個室に戻ると外は雲が出て薄暗くなっている。平原の広がりの遥か彼方に、うっすらと山影が見え始めた。
 17:37、モンタナ州シェルビー発。15分遅れ。1時間ほどうとうとして目を覚ますと、列車はロッキー山脈に差し掛かり、窓外には夕陽に照らされた雄大な景色が拡がっていた。この山越えは「エンパイア・ビルダー」随一の見所であるが、残念ながら途中で日が暮れる。明るいうちだけでもよく見ておこうと思う。


 高い鉄橋を渡って、モンタナ州イースト・グレイシャーパークに到着する。こちらの部屋に来ていたW氏が熊を見たと驚いているが、私は見逃した。駅前には山小屋風のホテルがあって乗降客が多い。
 山越えにかかり、右へ左へと屈曲する線路をゆっくりと登る。右に大きくカーブすると、はるか前方にこの列車を牽引する重連のディーゼル機関車が見える。切り通しや森林が多く、車窓が暗くなるが、見上げると空はまだ明るさを残している。
 やがて峠を越えて渓谷に沿って下りとなる。


 20:23、モンタナ州ウェスト・グレイシャーパーク発。山道にもかかわらず遅れを取り戻して定刻となる。間もなく夕食の時間になったので食堂車へ。ドイツ系米国人の夫婦と同席となる。彼らは夕方グレーシャーパークから乗ってきたそうで、ウェイターがメニューの説明に来て「スペシャルメニューは昨日と同じ」とだけ言って帰ろうとすると、声を揃えて「昨日は乗ってない!」と苦笑している。
 昨日はステーキだったので今度は鶏にしてみたが、これはパサパサであまり食べられなかった。

 エンジニアだという旦那の方とはいろいろ話をしたような記憶があるが、奥さんは山歩きで疲れたということであまり元気がない。はやく個室に戻りたい様子で、酒飲み日本人2人組に付き合って食後にビールを注文した夫を恨めしそうに見ている。その視線に気付いたか、旦那の方が「残りは部屋で飲むよ。ではおやすみなさい」と席を立ち、夫婦で寝台車へ去って行った。

 車掌のラジャが現れ、昼間の試飲会でたくさん余っているからと赤ワインを1本くれる。クイズに歯が立たなかった我々への気配りなのかもしれない。ありがたく貰って部屋に戻り、「これから開栓して、飲みきれないと厄介だな」という心配が脳裏をかすめたが、もちろんそんなことは杞憂であって、2人でたちまち飲み干して23:00就寝。
 
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