SNSの廃墟
風邪を引いて熱っぽい頭に浮かんだ想念。
最近、古代ローマの廃墟を描いたユベール・ロベールの展覧会に行ったり、現役の建築が廃墟になった光景を描く元田久治の画集を買ったりした影響かも知れないが、たとえばFacebookはどんな風にして廃墟になるのだろうと考えてみる。
もちろん企業が運営している以上、最後にはサービス停止となって跡形もなく消え去るのだろうが、そこに至る経緯はどんなものだろう。
古代都市が廃墟になるのと同じように、人々が一人去り、二人去りして無人となり、皆が投稿した文章や写真たちだけが二度と戻ってこない閲覧者を虚しく待ち続けているのだろうか。
そのとき、Facebook上の友人関係はどこか別の場所に再構築されるのだろうか。それともそのまま胡散霧消してしまうのか。
だいたいFacebookはあと何年続くのだろう。せいぜい10年くらいじゃないだろうかと思ってみるのだが、これが100年後や200年後に存在していたら別の意味で怖い。死者のために追悼アカウントという制度があるけれど、永久不滅なんだろうか。
もっともこれは友人にしか公開されないし、私の友人リストにいる人々も100年後には皆この世の人ではないだろうから、やはり誰の目にも触れずにデータだけが残り続けることに変わりはないのである。
最近、古代ローマの廃墟を描いたユベール・ロベールの展覧会に行ったり、現役の建築が廃墟になった光景を描く元田久治の画集を買ったりした影響かも知れないが、たとえばFacebookはどんな風にして廃墟になるのだろうと考えてみる。
もちろん企業が運営している以上、最後にはサービス停止となって跡形もなく消え去るのだろうが、そこに至る経緯はどんなものだろう。
古代都市が廃墟になるのと同じように、人々が一人去り、二人去りして無人となり、皆が投稿した文章や写真たちだけが二度と戻ってこない閲覧者を虚しく待ち続けているのだろうか。
そのとき、Facebook上の友人関係はどこか別の場所に再構築されるのだろうか。それともそのまま胡散霧消してしまうのか。
だいたいFacebookはあと何年続くのだろう。せいぜい10年くらいじゃないだろうかと思ってみるのだが、これが100年後や200年後に存在していたら別の意味で怖い。死者のために追悼アカウントという制度があるけれど、永久不滅なんだろうか。
もっともこれは友人にしか公開されないし、私の友人リストにいる人々も100年後には皆この世の人ではないだろうから、やはり誰の目にも触れずにデータだけが残り続けることに変わりはないのである。
- 2012.04.19 Thursday
- 雑記
- 21:07
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- by 翠月庵