06:30ごろ目が覚める。地平線のあたりの空が群青色に変わり、やがて列車の後方から朝焼けが始まった。
列車は沼沢地のような場所を走っているようで、ときおり水面が車窓をかすめる。
線路はロングレールの区間と短いレールの区間が混在していて、滑らかに走っていたかと思うと突然ロングレール区間が終わり、ケチャケチャコトコトケチャケチャコトコトと車輪の音が忙しくなる。レールの継ぎ目を左右で互い違いにしているらしい。同時に横揺れも大きくなるので、昨夜は何度か眠りを中断された。
日本の鉄道もロングレールが多くなる前は25メートルのレールだったが、左右の継ぎ目は揃えてあった。その上を長さ20メートルの車輌が60〜80km/hで走ると、車内にはトトットトットトッ、トトットトットトッ、という気持ちの良い走行音が響いたものだ。ごく稀に、北海道の閑散ローカル線などでは部分的に戦前からの10メートルレールが残っていることがあって、隣り合った車輌が同時に継ぎ目を踏むので、いきなり走行音がドッドタッタドッドタッタとにぎやかになり驚いたことがある。もう30年近い昔の話で、そうした路線も今はあらかた廃止されてしまった。
06:59、ノースダコタ州デビルズレイクを発車。46分遅れ。食堂車から朝食の案内放送が入る。沼地の彼方から太陽が顔を出した。もう起きることにして、車掌を呼び、ベッドを片付けてもらう。といっても、寝具を丸めて上段ベッドに放り込むだけの作業だ。
車窓は沼沢地を過ぎて、広大な牧草地に変わった。干し草のロールが点々として、朝陽に長い影を引いている。
07:59、ノースダコタ州ラグビーに停車。発車時刻はとうに過ぎているが、みんな降りているので車外を散歩する。西の空にはまだ月が残っている。08:03、56分遅れで発車。
食堂車へ行くと満席で、ウェイターが予約リストを持ってやってきたので名前を告げる。リストはかなり長くなっていて、私たちの番が回ってくるのは当分先になりそうだ。それまで車窓を眺めて過ごすことにする。のんびりと草を食む馬の群れの中に、一頭だけこちらを凝視しているのがいる。見張りの係が決まっているのだろうか。狐らしき動物が身をひるがえして線路際の草むらに消える。
08:57、ノースダコタ州マイノットに到着した。23分遅れ。駅の周辺は洪水があったらしい。泥をかぶった車が放置され、家屋に痕跡が残っている。あたり一面が埃っぽい。それにしても、ラグビーからマイノットまで、時刻表では所要時間が1時間27分の区間で、33分も遅れを回復するとは信じがたい。単線区間だから、対向列車との行き違いのタイミングによってそれくらいの差が出るのだろうが、そもそもダイヤの作り方が日本や西欧とは違っているような気がする。
09:19、発車と同時に食堂車から名前を呼ばれたので朝食に行く。スクランブルエッグ、ベイクドポテト、クロワッサン。追加でベーコンを注文する。食べているうちに車窓に起伏があらわれて丘陵地帯となり、浅い谷を鉄橋で渡る。
食後、洗面のためトイレに行く。スーパーライナーのルーメットには洗面台がない。しかし、トイレの洗面台もビューライナーの個室にあったのと同じように小さく、顔を洗ったら床が水浸しになってしまった。備え付けのペーパータオルを何枚も使って拭く破目になる。
11:20、ノースダコタ州ウィリストン着。11:28発。21分遅れ。メールチェックをしたいのだが、昨夜からモバイル接続がまったくできない。旅行前に得た情報では、主要道路に沿って細長く電波のカバー領域が伸びていたが、このあたりの線路は道路から離れているのだろう。
車窓の風景から水気が消え、荒涼とした岩肌と草むらばかりになった。車掌のラジャが「Coffee smells goooood!」と言いながら通路を歩いて行く。やっぱり変わっている。日本の鉄道会社ならたちまちクレームが入って配置転換だろうと思うが、アムトラックの車内ではどうでもよくなる。それどころか何となくコーヒーが飲みたくなって取りに行く。
外は雲ひとつない晴天の下、枯れ草色の起伏が拡がっている。眺めているうちに眠気に襲われて少しうとうとする。
13:00、そろそろモンタナ州に入ったはずなので時計を山岳時間に合わせる。現在12:00。モバイル接続が圏内になったのでメールをチェックする。
12:12、モンタナ州ウルフポイントを発車。31分遅れ。鹿が二頭逃げていった。
呼ばれたので食堂車へ。クラムチャウダーとサラダ、ビールを注文する。食べ終わって、食事とビール代からチップを計算してテーブルに置き、ラウンジへ移動する。しばらくして、ようやくビール代を払い忘れたことに気付いた。自室へ戻る途中、すでに昼の営業が終わった食堂車で係の若い女性に声をかけてビール代を支払うと、「ちょうど今そのことを考えてたところだったのよ」と笑顔を返された。
あいかわらず空に雲はなく、車窓は平原だったり岩がちの丘陵だったり。真っ白に見える箇所があるのは、塩だろうか。
14:36、小駅に停車して、シカゴ行きの「エンパイア・ビルダー」と交換する。
15:19、モンタナ州ハブアー着。40分遅れで発車時刻を過ぎているが、長時間停車のようなので乗客はみんな外に出ようと下に降りるのだが、ドアが開かない。そのうち国境警備隊らしき制服の二人組が降りてきて、ひとりひとりに「合衆国市民か?」と質問する。「違う」と答えると「では写真付き身分証明書を」。私はパスポートを提示して何もなかったが、彼らはW氏のパスポートに疑問を抱いたらしい。電話でどこかへ照会を始める。数分して疑惑が解けたらしく、また他の車両のチェックもすべて終わったのだろう、列車が再び動き出してプラットフォームに着き、ドアが開いて全員外に出ることができたのだが、当局がアムトラックに対するテロ計画でも掴んだのかと不安になる。
9月11日のニューヨークでは、グラウンド・ゼロの沖にイージス艦が浮かび、スタテン島フェリーは両舷をニューヨーク市警と沿岸警備隊の高速艇にエスコートされて運航していた。あれからまだ4日、のんびり列車に揺られていると忘れてしまうが、この国は現在、たしかに緊張状態にある。
外はやや暑い。プラットフォームには、軸配置4-8-4の巨大な旅客用蒸気機関車が展示されている。あたりを一回りして車両に戻ると、ワインとチーズの試飲試食会が始まるというので食堂車へ行く。ワインは赤白二種類ずつ、チーズは三種類が供された。進行役は我らが車掌ラジャが務める。今日が42歳の誕生日だというので、みんなで彼のためにハッピーバースデーを歌う。
やがてボトルのワインを賞品にしたクイズ大会が始まった。アメリカの古いテレビドラマなどの出題が多くて全然わからないが、他の乗客は大いに楽しんでいる。
個室に戻ると外は雲が出て薄暗くなっている。平原の広がりの遥か彼方に、うっすらと山影が見え始めた。
17:37、モンタナ州シェルビー発。15分遅れ。1時間ほどうとうとして目を覚ますと、列車はロッキー山脈に差し掛かり、窓外には夕陽に照らされた雄大な景色が拡がっていた。この山越えは「エンパイア・ビルダー」随一の見所であるが、残念ながら途中で日が暮れる。明るいうちだけでもよく見ておこうと思う。
高い鉄橋を渡って、モンタナ州イースト・グレイシャーパークに到着する。こちらの部屋に来ていたW氏が熊を見たと驚いているが、私は見逃した。駅前には山小屋風のホテルがあって乗降客が多い。
山越えにかかり、右へ左へと屈曲する線路をゆっくりと登る。右に大きくカーブすると、はるか前方にこの列車を牽引する重連のディーゼル機関車が見える。切り通しや森林が多く、車窓が暗くなるが、見上げると空はまだ明るさを残している。
やがて峠を越えて渓谷に沿って下りとなる。
20:23、モンタナ州ウェスト・グレイシャーパーク発。山道にもかかわらず遅れを取り戻して定刻となる。間もなく夕食の時間になったので食堂車へ。ドイツ系米国人の夫婦と同席となる。彼らは夕方グレーシャーパークから乗ってきたそうで、ウェイターがメニューの説明に来て「スペシャルメニューは昨日と同じ」とだけ言って帰ろうとすると、声を揃えて「昨日は乗ってない!」と苦笑している。
昨日はステーキだったので今度は鶏にしてみたが、これはパサパサであまり食べられなかった。
エンジニアだという旦那の方とはいろいろ話をしたような記憶があるが、奥さんは山歩きで疲れたということであまり元気がない。はやく個室に戻りたい様子で、酒飲み日本人2人組に付き合って食後にビールを注文した夫を恨めしそうに見ている。その視線に気付いたか、旦那の方が「残りは部屋で飲むよ。ではおやすみなさい」と席を立ち、夫婦で寝台車へ去って行った。
車掌のラジャが現れ、昼間の試飲会でたくさん余っているからと赤ワインを1本くれる。クイズに歯が立たなかった我々への気配りなのかもしれない。ありがたく貰って部屋に戻り、「これから開栓して、飲みきれないと厄介だな」という心配が脳裏をかすめたが、もちろんそんなことは杞憂であって、2人でたちまち飲み干して23:00就寝。